合接でよく聞かれる質問をまとめてみました。
□施工管理職とはどのような仕事ですか。
□どんな工事を請け負っていますか。
□どういった会社やお客様と取引を行っていますか。
□どういった会社やお客様と取引を行っていますか。
□具体的にはどんな仕事がありますか。デスクワークですか。
□どういう人が入社していますか。
□大石工作所の平均年齢はいくつですか。
□どのような人事制度がありますか。
□資格・免許は必要ですか。自費ですか。
□具体的にどんな資格が必要ですか。勉強などの期間は長くかかりますか。
□基礎知識がなくても(理系ではなくても)入社できますか。
□どういった知識が役立ちますか。
□入社にあたっての基本的なことを教えてください。
□施工管理職とはどのような仕事ですか。
施工管理職は、建設工事でもメンテナンスでも、一つの工事に対し、お客様に予算を立案して交渉するところから、自分が監督となって専門職の作業員をマネジメントし、最後はお客様に引き渡し清算されるところまでを行う仕事です。
□どんな工事を請け負っていますか。
大石工作所が扱っているのは生産・製造プラントの建設工事やメンテナンスです。
プラントという言葉は聞きなれないかもしれません。しかし、私たちの身のまわりにあるもの、生活に欠かせないもの、スマートフォンや自動車といった複雑な構造をもつものまで、その素材となるものはプラントから生み出されています。想像以上に大きいことをしています。
私たちの仕事がなければ、生活に必要なものは生み出されないし、豊かになっていきません。もちろん、それ自体を作っているお客様の会社もすごいのですが、私たちも負けないくらい、生活に欠かせない、大切な仕事をしています。
私たちの仕事は、プラントを作る仕事「コンストラクション」と、守る仕事「メンテナンス」の二つで、それぞれ営業活動を行っています。
プラントを作る「コンストラクション」と保守・点検を行う「メンテナンス」の両方の部門があることで、私たちはプラントの設計・製造・据付・アフターフォローまで、すべて切れ目なく携わることができる一貫施行をしています。
例えば、化学プラントの製造では外国からの材料を扱ったこともあります。そうした材料の調達に始まり、輸送された材料をクレーンで運搬すること管理も仕事のうちです。プラントには槽があり、入っている素材を攪拌(かくはん)したり粉体にしたりする設備も作りますし、ベルトコンベアや給油管などあらゆる装備・機械の設置も行います。
プラントからものが生み出される以上、プラントそのものがなくなる可能性は将来的に見てもあり得ないといえます。また、景気に左右される業界でもないので、安定した業界・企業です。
□どういった会社やお客様と取引を行っていますか。
メインのお客様は、新居浜市にある会社さんが中心です。住友化学さんとは創業当時から、80年間の長いおつきあいをしております。
新居浜市は工業都市で大企業ももちろんありますが、ものづくりの技術や技量を実際に持っているのは中小企業です。大企業の社員ではできないことを、私たちのような中小企業が集まって行い、今まで発展してきたという流れがあります。
私たちの仕事の強みは、自分たち自身もプラントを作り上げるというものづくりにかかわりながら、生活を豊かにするものづくりの始まりに立ち会えるということです。
また、松山市や四国中央市でも請け負っています。
□具体的にはどんな仕事がありますか。デスクワークですか。
基本的には日中は現場で仕事をし、15~16時くらいに会社に帰ってきて、デスクワークをするという感じです。
デスクワークでは、工事をする前なら工事に対する見積もりの作成や原価管理、工事中であれば当日の連絡表の作成や翌日の工程管理などです。一人で営業から書類作成まで、すべてをひっくるめて行います。
もちろん、日中は現場にも行くので、体力は必要かもしれませんが、やりがいもあるし、一つの工事が終了すると達成感もすごくあります。
作業をしたりデスクワークをしたりと、一人で仕事をしているイメージがあるかもしれませんが、それは違います。そうした仕事はあくまで事務的なものでしかなく、メインは人とのコミュニケーションです。工事の前から、引き渡すまでお客様とのコミュニケーションはずっと続きますし、工事中には作業員とのコミュニケーションもあります。人と接する機会が多いのが施工管理職の特徴で、だからこそ理系・文系といった区分は関係ないと断言できる理由でもあります。知識や技術ではなく、コミュニケーションが仕事の軸にあるからです。
□どういう人が入社していますか。
ものづくりにもともと興味があった人
インターンシップに来てもらって、ものづくりに興味を持った人
□大石工作所の平均年齢はいくつですか。
平均年齢は35歳です。
社長は40歳になったばかり、社員も30代が中心と、会社としても非常に若いので、今からさらに企業も成長していきます。
若手社員の監督者が集う飲み会が月1回あります。普段は営業所に分かれて仕事をしていますが、そういう機会にはみんなで一緒になって話ができることも私たちの強みだと思います。
□どのような人事制度がありますか。
『マイドキュメント』という独自の人事制度があります。
3年後や5年後に「自分がどうありたいか」を自分で考え、それに対して直属の上司からのフィードバックが得られるので、着実にキャリアアップができ、モチベーション維持や自己成長につながります。
段階的なキャリアイメージを用意していますが、年功序列ではなく、能力に応じた職階・役職です。1年目だから担当はこれで、10年経たないと主任になれない、というものではありません。自分の頑張り次第でスキルアップできるので、社員の中には4年で主任になった人もいます。
□資格・免許は必要ですか。自費ですか。
業種として、多くの資格や免許が必要となりますが、それらはすべて会社が費用負担してくれます。
自分の成長に伴い、「どのような自分でありたいか」がどんどん変わっていきますが、それに合わせて必要な資格・免許も自分で選んで取得することができます。
会社から強制されるのではなく、自分で選択できるという、自部のペースで可能性を広げられる自由度の高さが社風の一つです。
□具体的にどんな資格が必要ですか。勉強などの期間は長くかかりますか。
例えば、建設業の資格ではクレーンを動かす資格や溶接の資格など、この資格がないと仕事ができません、というものが約10種類あります。多く感じますが、そのうちの6種類は入社後に講習を受けながら勉強してもらって半年で取れるものです。講習だけでなく、特別教育という勉強を教えてもらう時間もあります。
作業主任者という資格も必要ですが、それは自分で作業・運転をするのではなく、管理側の資格です。チームで作業をするとき、作業長などの立場に必要な資格ですので、それは入社後3~4年で取得する人が多いです。ゆっくりキャリアアップを目指す人でも5年以内には取得できています。
そこから10年以内で国家資格、そして10年以上をかけて溶接士などを目指していく社員がいます。業界のすべての資格というと、10年から20年くらいはかかります。これらは、社内での推奨計画があって、それにともなうキャリアの役職も決まっているんです。こういう能力があって、こういう人柄の人には、こういう方向を目指してはどうですか、という体系的なキャリアイメージです。だから、自分でもそれを見てキャリアアップが目指しやすいようになっているし、今年・来年・再来年が具体的にイメージできるんです。
こうしたキャリア支援成果は実際に行政に認められていて、愛媛県や新居浜市から認定もいただいています。
□基礎知識がなくても(理系ではなくても)入社できますか。
4月からの入社では約半年間、外部機関の研修など様々な場所でのOff-JTから始まるので、文系・理系や基礎知識の有無を問わず、非常に安心して働けると思います。
□どういった知識が役立ちますか。
・製造設計・製造管理
プラントの製造・メンテナンスを行っていますので、製造設計や製造管理の知識があれば生かすことができます。
・化学薬品の輸送や破損に関する知識
化学工場のプラントを扱うこともあります。苛性ソーダなど、化学薬品などを輸送することに関する知識も生かせます。
・図面作成、CADなどの取り扱い
大企業の仕事では広大な敷地の中に、複数のプラントを作ることもあります。図面を作成することもありますので、CADなどの製図ソフトの扱いも仕事に生かせます。
□入社にあたっての基本的なことを教えてください。
就業時間は8時から17時です。中小企業ではありますが、大学卒の給与は大手並みの水準です。社内でも透明性を重視し、利益は社員にも確実に還元されています。年間3回の賞与もあります。
ただ、仕事はお客様のプラントを24時間・365日守っていく仕事なので、残業ももちろんあります。だいたい月に10~20時間くらいです。しかし、残業は時間外手当がつき、働いた時間だけ手当てが必ず出ます。そしてそれは、基本給には含まれません。もちろん、最初から残業をさせられることはなく、仕事に慣れてきた段階でそうした交代制の班に入ってもらいます。
年間休日は105日で、日曜・祝日は休みとなっています。土曜日は3交代制で、A・B・Cと3班に分けてまわしています。各種有休も整備されています。
通勤手当が距離に応じて支給されるほか、新居浜市街出身の方には、住宅手当として最大2万円までの補助があります。
福利厚生も充実しています。社員みんなで行く厚生旅行が年一回あります。
新居浜市内にあるゴールドジムというフィットネスジムの法人会員になっているので、仕事終わりや休日にそのジムに通って体を動かしている人もいます。
社員の定着率は高いです。透明性のもとにきちんと還元されているので、仕事自体のやりがいだけでなく、会社や社長に対する納得感も非常に高いです。
以下、過去の記事です。
【vol.1】
大石工作所さんリクルート、勝手に応援企画 vol.1
「キミの未来は、直属の上司によって変わる」
この記事は新居浜市在住の高校生、新居浜市出身の大学生に向けて書きます!
昨年、えひめさんさん物語の取材で知り合った(株)大石工作所さん。
(公式ガイドブック春号・5p。アーティストinファクトリー&オープンファクトリーを実施しての感想を取材・掲載しています)
取材の申し込み時、取材時、取材後、掲載後、工場見学時と、非常に温かい対応をしていただきました。
その後、大石憲一さん(社長、写真右)&田窪祐二朗さん(総務部、写真左)から、思うように人材が集まらないという話を聞きました。
お礼の意味も含め、勝手にリクルート応援企画を考えました。
とはいえ、自分はリクルートについては素人。
一部の学生さんと話をして、まあまあの反応だったことを実践してみようと思います。
(実践とはいえ、実験のような企画につきあってもらえる大石さん、ありがとうございます)
第1弾は「深堀り社長紹介」です。
今まででてこなかった社長の根っこの部分や人なりの紹介をしていきます。
何故、社長紹介をするのか? その理由は、以下に。
【仕事内容より、上司が大事!?】
(1)入社すると、直属の上司が必ずいます。
(2)上司は同じではありません。さまざまな考え方や行動・対応をします。
(3)仕事を決めるのは上司です。
(4)もし、失敗した場合、上司によっての対応はさまざまです。
【上司になる人を調べることはできる!?】
(5)上司は選ぶことができません。細かな情報も開示されていません。
(6)上司を調べることは難しいが、組織の長である社長を調べることはできます。
(7)社長の言動から、明文化されていない会社の文化や風土、ノリ、勢いなど知ることができます。
組織に属する上司について、ある程度想像できる・・・という理屈です。
まずは、就活生自身もする「過去の自分を振り返る」です。
就活生と同じように、大石社長にも、自分の過去を振り返ってもらいます。
(次回から小学校時代、中学校時代、高校時代とインタビュー記事がアップされます)
あっ、最後に。
この企画は、俗に言う「企業案件」ではありません。
大石さんからお金をもらっての企画ではないです。
お金をもらったときは、その旨を書きます(笑
(↓工場見学のときに見つけたものです)
【vol.2】
大石工作所さんリクルート、勝手に応援企画 vol.2
社会人1年目のモヤモヤ女子、リクルート 応援企画vol.1を読んでの感想をもらいました。
「仕事内容より上司が大事?」
ってところですが、振り切った表現ですけど
その通りだと思います。
両方充実してることに越したことはないとは思いますけど。
〇内容はいいけど上司がダメ
〇内容はイマイチだけど上司がいい
だと後者の方がいいですね。
前者の場合よっぽど、その仕事に対して熱い思いがあって自分でも行動できる人ではない限りもたないかなと思います。
現状、私は頼れる上司がいないというのが残念だなぁと感じています。
正直なところ、今の上司は尊敬できる人がいないです。
店長は尊敬できますが、お忙しすぎて相談もできません。笑
新規のやり方に関しても40歳半ば&50歳半ばが直属の上司になるので、昔はこうだったという話ばかりで、
なかなか参考になりません。
「俺も好きでこの仕事してるわけではないけんのう。」
とキレ気味に言われた時は、がっくりでした。
私の場合
〇内容もイマイチで上司もダメ
ですね笑
自分なりに誇りをもって仕事をしている方は
かっこいいなと思います。
社長のスピリットを知る
というのは大事だと思います。
私は見落としていました。
もちろん、自分のやりたいことを
仕事にするのは大事だと思いますが、
なおかつ自分の価値観が社長と合うか
って結構重要なのかなぁと今になって思います。
(↓工場見学のときに見つけたものです)
【vol.3】
大石工作所さんリクルート、勝手に応援企画 vol.3
弟さんが新居浜に会社に就職した姉さんから、リクルート 応援企画vol.1を読んでの感想をもらいました。
私の弟は去年の春、新居浜市の会社に就職しました。
どんな仕事をしたいのか、どんな会社で働きたいのか、
自分のしたいことがわからないと就職活動中に相談を受けていました。
そんな弟が今の会社を選んだきっかけは、合同企業説明会で社長と話して面白い人だと興味をもったからだそうです。
串部さんの理論にもあるように、
トップである社長を知ることで、その会社の雰囲気や仕事に対する姿勢がみえたのではないかと思います。
ですので、この企画でどんな風に(株)大石工作所さんがみえてくるのか楽しみです。
【vol.4】
大石工作所さんリクルート、勝手に応援企画 vol.4
大石さんの採用関連スケジュールです。(1月16日現在)
□企業合同説明会(西予市)
1月28日(火)13:30〜16:30
愛媛県歴史文化博物館第1・2研修室
□大石工作所冬のインターンシップ
2月19日(水)〜21日(金)3days1回を2名限定で開催予定。1dayのインターンシップ(会社説明)は2月中随時開催。
リクナビ2021にて申込受付中
□リクナビ 業界&仕事研究LIVE(松山市)
2月13日(木)12:00~17:00
松山市総合コミュニティセンター体育館
□スイッチカンパニー シューcafe(松山市)
2月28日(金)13:00~17:00
松山市総合コミュニティセンター企画展示ホール1F
□ジョブカフェ愛work 合同会社説明会(松山市)
3月11日(水)10:00~15:00
松山市総合コミュニティセンター企画展示ホール
【vol.5】
大石工作所さんリクルート、勝手に応援企画 vol.5
今回は小学校時代のことを質問しました。
「新居浜小学校に通っていました。校歌には『新居浜の いちばん古い わが学校』という歌詞があり、新居浜市で一番古く、歴史がある学校が僕の学び舎でした」と語り始めた大石社長。
止まらない小学校時代のエピソードの数々。キーワードは…
1)身体を動かすことが好き
・得意科目は体育!スポーツ大好き
・ソフトボールは4番・キャッチャー(ただし肩が弱い)
・相撲でも水泳でも大会出場・上位入賞
2)おちゃらけ・目立ちたがり
・目立った結果、学級委員に
・年中、半袖・半ズボン
・雨の日でも青空給食
3)食べて遊んでの奔放な小学生、でも頼れる兄貴
・男女・年齢を問わず周りに人がいた
・水代わりに毎日牛乳を2リットル
1)身体を動かすことが好き
・得意科目は体育!スポーツ大好き
得意科目から聞いてみましょうか。
「小学生の頃の自分というと、得意科目は体育!というくらい、スポーツとか身体を動かすことが好きでした。その後もずっと好きでスポーツも続けているので、小学校だけではなく、ずっとかもしれません」
・ソフトボールは4番・キャッチャー(但し肩が弱い)
スポーツが好きということで、クラブ活動はしていましたか。
「新居浜小学校には新須賀スポーツ少年団という地域のソフトボールクラブがあって、そこに所属していました。最終学年のときの守備はキャッチャーでしたが、新居浜で一番肩が弱いキャッチャーでしたね。たぶん身体が大きいからキャッチャーに選ばれたんだと思います」
ソフトボールは強かったんですか。
「新居浜小学校のスポーツ少年団はソフトボールが強くて、たくさん賞をもらったという記憶もあります。新居浜小学校区のソフトボールチームは3チームあり、そこから選抜されたオール新居浜という代表するチームもあって、新居浜市の小学校単位で試合をするときはそのチームで出場しましたそのオール新居浜では、キャプテンをさせてもらっていましたし、新居浜市の大会では全てコールド勝ちをしたという記憶もあります。
打順ではいつも4番とか5番でした。僕よりも身体が大きい子も同じチームにいて、その子とはオール新居浜では半分ずつキャッチャーを担当して、その子がキャッチャーのときには外野を守っていました」
・相撲でも水泳でも大会出場・上位入賞
ソフトボール以外のスポーツもしていましたか。
「スポーツ少年団のメンバーは結構、相撲にも引っ張られていくんですね。新居浜で一番大きい一宮神社に土俵があって、本当に裸にまわしを巻いてすもうをするんです。今も巻き方は覚えていますよ。二人がかりで巻くんですけどね」
新居浜では相撲をやっていた小学生が多かったんですか。
「他にもいろんなスポーツ少年団から、身体が大きい小学生は引っ張られていましたね」
相撲はいつから始めたのですか。
「小学生の3~4年生くらいから始めたと思います。」
相撲の練習はどこでやっていましたか。
「その一宮神社の境内にある土俵です。でも、今は取り壊されたので土俵はないのですが、当時はそこで週に2回くらい相撲の練習もしていました」
相撲の大会にも出られたのですか。
「JCが主催するわんぱく相撲大会というのがあって、僕は新居浜では一番強かったので、新居浜代表で両国国技館の全国大会にも出させてもらいました。夜行バスで東京まで行くんです。大会中は相撲部屋に泊まって、ちゃんこを食べさせてもらいました。愛媛県の大会は松山の護国神社で毎年あったんですが、そこでは最高3位でしたね」
他にもスポーツはやっていましたか。
「水泳もやっていました。割と早くて、県の記録会にも出ました。習い事としてやっていた水泳ですが、授業で得意な人は水泳記録会という新居浜市の大会に出るように、と言われて出たんだと思います。
先ほども言ったようにスポーツは得意で、水泳も例外ではなく、どの泳法もできました。クロール、平泳ぎ、背泳ぎ、バタフライ全部できて、だから個人メドレーにも出場したことがあります」
2)おちゃらけ・目立ちたがり
・目立った結果、学級委員に
では反対に、不得意科目はありましたか?
「不得意科目はとくにはなかったですね。自分で言うことではないですが、小学校のときはそこそこ優秀な方だったと思います。あくまでその小学校の中で、ですが」
塾などには行きましたか。
「塾は中学校からだったので、小学校時代は行ってないですね。書道教室に通っていたので、習字は好きでした。小学生のレベルでは段までいったと思います。字を書くことも好きですし、社内でも香典とか祝儀袋とか、書いてくださいと言われることも多いです」
成績優秀だったなら、学級委員などもやっていましたか。
「学級委員や児童会もやっていました。ただ、成績という意味では、だんだん悪くはなっていくんですけど」
自分から立候補したのですか。
「なったのは自分からではないんです。小学校3年生くらいまではどちらかというと、言うことを聞かない側だったかもしれませんね。暴れたりするわけでないんですが、おちゃらけるばかりの小学生でした」
ということは、何かきっかけがあったんですか。
「それが、小学4年生のときに、授業中かな、隣の席の子が体調悪くて嘔吐してしまって。なぜかそのとき、吐瀉物を掃除していたんですね。自然と行動したんです。たぶん、目立ちたいとかそういう理由だと思うんですけど、先生からしたらそういう(他人が嫌がることでも)ことを率先して行う子って思ったみたいで、2学期に学級委員になったんです。そこが転機となって、そういう学級委員とか児童会もするようになりました。だからといって大変だな、という思い出はとくにはないので、小学生ですし号令をして、ちょっと学級代表で集まるくらいだったとも思います。あとは、全校集会で夏休みの思い出とかを発表するときに割り当てで、学級委員だから前に立って話したくらいですね」
・年中、半袖・半ズボン
では、小学生の頃はモテたのではないですか。
「今でいうようなモテるというのとは違いますけどね。だいぶぽっちゃりとした体型をしていましたし。モテとは違いますが、いつも周りに人がいて、男子も女子も関係なくて、楽しい人間関係でした。冬もおちゃらけで半袖・半ズボンで学校に行くような子どもです」
・雨の日でも青空給食
小学生時代に印象に残っていることはありますか。
「印象に残っているエピソードというか、新居浜小学校には月1回、青空給食という行事があって、絶対ではないけど外で給食を食べていいよ、という日があったんです。それで、いつだったか青空給食の日に土砂降りだったことがあるんですけど、それでも「青空給食だからおれは外で食うんだ」って言って外で食べてました。目立ちたがり、ではあったかもしれないですね」
どんな給食でしたか。
「給食はあまり変わらないと思いますが、銀のお盆にプラスチックの器が合って、ご飯とおかずが数種類。牛乳もありました。土曜も学校がある時代なので、給食というかパンとポンジュースがあったと思います。給食でも牛乳はたくさん飲んでいました。牛乳が苦手な子がたくさんいたので、そういう子たちからもらっていました」
3)食べて遊んでの奔放な小学生、でも頼れる兄貴
・男女・年齢を問わず周りに人がいた
友だちは多かったですか。どんな人たちと遊びましたか。
「友だちも多かったと思います。男女関係なく遊んでいて、でも弟もいるので、もちろん弟やその学年のことか、上級生もいて、集団で遊んでいました。川に行ったらザリガニを釣ったりと自然で遊ぶこともあれば、家でゲームをすることもありました。テレビゲーム、はなかったかもしれないので、ボードゲームとかですかね」
・水代わりに毎日牛乳を2リットル
好きな食べ物はありますか。
「好きな食べ物?焼肉じゃないですかね。肉が好きというか。
でも、外食は少なかったと思います。今、自分の家庭では結構外食もしますけど、当時は、外食というよりはうちで食べる方が多かったです。男ばかりの4人兄弟ですので、ご飯はどんぶりで出て、野菜炒めとかも大皿にそれぞれ1人分が盛られている。
牛乳は1人で2.5~3リットル飲んでました。朝1リットル、帰ってから2リットルくらい、食事中も牛乳です。だから、母は毎日10~12本くらい買って帰ってました。その代わりおやつとか間食はしません」
充実した小学高時代を送った大石社長。当時抱いていた将来の夢についてはこう語ります。
「将来の夢はとくにはなかったですけど、その頃は年始の挨拶で会社の方が来ることもあったので、やっぱりそういうときには長男だからお前が継ぐんだろう、ということはなんとなく感じてはいましたね。もちろん親戚も集まるので、お年玉もたくさんもらえて、バブル景気の頃なので社員の方からももらって結構な額だったと思いますよ。だから、なりたいものがあるというよりは、なんとなくでも父の会社を継ぐとかそういう関係の職に進むんだろうとは思っていたはずです」
【vol.6】
大石工作所さんリクルート、勝手に応援企画 vol.6
2020年1月28日(火)13:30〜16:30、愛媛県歴史文化博物館第1・2研修室で合同説明会がありました。
南予の高校の進路担当の先生方に向けて、企業説明会です。
1社20分と移動5分で、先生方が企業ブースをまわる形式です。
時間前の準備中。
業界や企業の将来性、1人暮らしの補助(住宅手当てや寮)など、先生方からの質問に答えました。
【vol.7】
大石工作所さんリクルート、勝手に応援企画 vol.7
今回は中学校時代のことを質問しました。
学校行って、部活をして、塾に行って、友だちと遊び惚けていた中学時代。
校区内の中学校へ進学
・最初の成績はよかったけれど…
・軟式野球部に入部
・たまの休みは友だちと釣りやゲームセンターへ
迷っていた高校進学
・新居浜西高と新居浜東高で迷う進路
・きっかけ①:友だちのお兄ちゃん
・きっかけ②:スクールウォーズの再放送
大石社長は「新居浜市立北中学校に進みました」と中学時代を振り返り始めました。
校区内の中学校へ進学
どうして北中学校へ。
「校区で決まっているんです。新居浜小学校と宮西小学校は北中学校へ行く、というふうに」
校区の越境や、中学受験という道はなかったのですか。
「そういうのはなかったですね。僕のまわりにそういう子はいなくて、他のところでは成績が優秀な子は、受験して愛光中学に進学するということもありましたが、地元の人にはそういう考えはあまりなかったような気がします。今はそういうこともあるかもしれません。たとえばスポーツ進学で、中学や高校から県外へ、親元を離れることもあり得ると思います。ただ、30年も前ですから、そういうことは少なかったと思います」
北中学校はどうでしたか。
「半分くらいは知らない人と一緒になりました。川東地区は子どもがめちゃくちゃ多かったんですよ」
ということは、中学校のクラス数は多かったですか。
「僕らの中学校は学年4クラスす。新居浜小学校は2クラスで、宮西小学校も2クラス。川東地区や上部地区の小学校は子どもの人数も多いのでたくさんクラスがあったみたいですが」
・最初の成績はよかったけれど…
中学校では英語が始まります。どうでしたか。
「最初だけはできていたんですけど、最後のほうは全然ダメでした。小学校の時に少し英語を習っていたような気がしていて、だから最初はできていたと思いますよ」
勉強全般はいかがですか。
「英語と同じで、最初はよかったと思うんですけど、だんだん悪くなっていきました。入った時には一桁代か10番前後にいたのに、最後は30~40番くらいになったと思います。授業はちゃんと聞いていたのですが、そんなにちゃんとテスト勉強や受験勉強をした記憶がないんです。というより、まったく勉強した記憶がないですね。授業だけはちゃんと聞いていました」
・軟式野球部に入部
部活はしていましたか。
「野球部です。ソフトボールがなくなるので、軟式野球でした。軟式でも最初はよかったんですが、だんだんだめになっていきましたね」
軟式野球の練習は厳しかったんですか。
「そんなことはなかったです。北中学校は強かったんですが、新居浜小学校がそもそもソフトボールで強くて、その子たちがそのまま上がるので、最後の方の試合は負けましたが、それまでは準優勝になって愛媛県大会に出場することもありました。野球部というとどこも上下関係があって、先輩が厳しいというイメージがありますが、そういうことはありませんでした。先輩がめちゃくちゃきついとか、そういうことは味わったことはないですね。練習はまぁまぁしていたと思いますよ。土日も休みなく、毎日ですね」
夏休みとかも練習はありましたか。
「やっていたと思います」
軟式野球部の思い出はありますか。
「そうですね、試合で、そのときキャッチャーをしていたんですが、ファールボールを追いかけて行って、壁に思い切り顔をぶつけてしまったことがあります。痛みがわからないくらい思いっきりぶつかりました。ボールを追いかけて、最後につまずいてしまって、でもあまり痛くはなかったです。でも、後輩のお母さんですごくきれいな人に、その後試合の時間ずっと介抱されました。そういう思い出ですかね。あとは、優勝も経験しました」
他にクラブ活動はしていましたか。文化部など。
「入っていないですね。野球部だけです」
塾には行ってましたよね。
「行っていました。数学・国語と、英語も行ったと思います」
・たまの休みは友だちと釣りやゲームセンターへ
遊ぶ時間はないですね。
「そんなになかったと思いますね。あるとしても、日曜日の午後くらいです」
もっと遊ばなくてよかったんですか。
「それはそれでよかったと思いますね。小さい頃はあんまり何も考えないタイプだったと思うので、もっと遊びたいとかもなかったです。学校も楽しく行っていたので、皆勤賞でした。中学だけではなく、小・中・高ずっと皆勤賞です」
何か趣味がありましたか。
「趣味ではないですが、友だちと釣りに行くことはありました。趣味まではいかないので、趣味と言われるとないですね。学校行って、部活をして、塾に行って、それでたまに友だちと釣りに行くという感じです。めちゃくちゃ釣りにはまって、どうしても釣りがしたいということはなかったです」
中学の3年間はそんな感じですか。
「そうですね、そういう生活でした」
迷っていた高校進学
・新居浜西高と新居浜東高で迷う進路
高校へ行くための勉強はしていましたか。
「全然しなかったですね。優秀な人は新居浜西高校に行くんですけど、中学校の最後の方はだんだん学力が落ちていました。勉強をしてなかったんですが、3年生の総体が終っても全然勉強せずにいたら、先生にもこのまま勉強しないと新居浜西高には行けないと言われてしまいました」
・きっかけ①:友だちのお兄ちゃん
それで勉強したんですか。
「それでも何も考えずに勉強もしないままでしたね。めんどくさいな、という感覚はあって、勉強して新居浜西高に行くのか、そのまま新居浜東高に行くのか迷っていました。迷っていた、というほど迷ってはいないんですけどね。それで、たまたま友だちの家に行ったときに、その子のお兄ちゃんが新居浜東高でラグビーをしていたんです」
・きっかけ②:スクールウォーズの再放送
ここでラグビーが出てくるんですね。
「その同じ頃、学校から早く帰って、部活も塾もなくてテレビを見ていたら、スクールウォーズの再放送をしていたんです。それで、東高に行ってラグビーをしてみようかなと思いました。勉強するのもめんどくさいし、新居浜東高なら勉強しなくても、ほっといたら通るんですね。だから、新居浜東高に進学してラグビーをしようか、くらいで進路を決めました。ちゃらんぽらんなんです」
わりと勉強面ではのんびりした感じですね。
「のんびりですね。高校入試の前も野球していましたから。新居浜小学校に行って、友だちとゴムボールで野球をしました。何にも考えてないですよね。本当にどうしようもないバカ坊っちゃんでした」
新居浜西高は難しかったわけですか。
「どうでしょうかね。西高はぎりぎりと言われていたので、ラグビーをしたいというのもあって東高に決めましたが、新居浜東高に入学して、選抜クラスで頑張れましたし、ラグビーを通じていろんな出会いや人間形成ができたので、結果的に良かったと思います。でも東高に行ってもめんどくさがりな性格は変わらず、高校でも最後の方はだいぶ順位は落ちましたね」
こうして緩やかな中学時代は幕を下ろします。
次は、ラグビーに励んだ高校時代についてお話を伺います。